加害者との記憶・10年後

10年
 加害者は、事故後拘束されずに家に帰されています。 加害者と妻はそのことを、「自分達だけが悪いのではないから帰してもらえた」 と、思い込んでいたようです。 殆どの事故で拘束されないことを知らないようでした。 刑事裁判では嘘ばかりつき、国選弁護人の女性も矛盾だらけの弁護をし、無意味に裁判が長引きました。 事故から判決までの2年間で、加害者は自分の中で罪を軽いものへと変えていったのだろうと思います。 有罪ではあったけれど執行猶予がついたおかげで、以前と変わりない生活ができたことも、罪が軽いからだと受け止めていたのでしょう。 民事裁判で久しぶりに会った時でも、私たちの方を見ようともしませんでした。
 だから、加害者達とは民事裁判終了後からずっと音信不通の状態でした。 でも私は、彼等のことを忘れた日は一日もなかったのです。 何を思っているのか、どのような生活をしているのか、生きているのか、死んでいるのか・・・・。 数年間は体が震えるくらいに憎しみ、殺してやりたいと思ったことも何度もありました。 人の命を奪っておいて、なぜ反省も謝罪もせずに生きられるのか、なぜ逃げてばかりなのか、それを思うと苦しくてたまりませんでした。

 でもある日、気が付いたのです。 私は、加害者が私の望むように行動しないことを苦しんでいるけれど、それは、彼自身の問題であり、彼が考えなければならないことであって、私が悩む問題ではないということに。そのとき心がすっと軽くなり、憎しみを手放すことができました。
 加害者の行為は許せない。けれど、加害者という人間を許すのは、私ではないと思います。 言うならば、それは 「天」 が決めることのように思います。そう思えるようになるまでに何年もかかりました。 時は確かに穏やかな時間を運んできてくれます。
 そうは思っても、加害者達のことを考えると心がざらつきます。 忘れることはできないのです。 強い憎しみがなくても、疑問が消えることはありません。 会って話をしたいという思いは募るばかりです。
 そこで、10年経った2007年の命日に、思い切って加害者宅を訪ねることにしたのです。

加害者に会いに
 加害者の家に行くのは2回目です。 1度目の時は加害者は黙って立ったまま、妻が言い訳ばかり並べ立てました。10年後に訪れた時も、同じでした。 ただ違っていたのは、加害者が5年前に亡くなっていたことでした。
 5年前といえば、民事裁判も終わり一段落着いて、1年程経った頃でしょうか。 私はアルコール依存症症候群のようになっていました。 何をどうしたって息子は帰っては来ない、耳もだんだん悪くなってくる、加害者のことも忘れることが出来ない。悩み苦しんでいた時でした。 でもその時既に、加害者はこの世にいなかったのです。
 妻は言いました。「最後は車椅子で、大変だった」
 似たような科白を刑事裁判終了後にも聞いたなと思いました。 加害者に対して私の知り合いが、一言言ったところ、逆に妻が私たちに対して強い口調で言い返しました。
「殺したなんて言い方されたくない!私らだって今まで一生懸命に生きてきたんや!」
 自分達は悪くない。 加害者達にとって、事故は迷惑な出来事だったのです。 多分、最初からそのように思っていたのでしょう。 妻は、事故の原因が私たちにもあると言ったのです。悪いのは、子供だけで散歩に行かせた親なんだと。

 正直に言うと、それは私が常に思っていることで、言われたら非常に辛い言葉でもあります。 事故の直接的な原因は加害者にあっても、私さえあの時、散歩を止めていたら、または一緒に行っていたら、息子は死ぬことはなかったし、一緒にいた子も辛い思いをすることはなかった。 親として至らなかった自分を責めもしたし、大切な子を自分が死に追いやったようなものだと、今でもずっと思っているから。

 でもそれは違うのです。 違うのはわかっていても、やはり私は自分を責める。
 被害者遺族のなかにも、同じように 「あの時ああしていたら」 と自分を責める人は多くいます。 被害を受けた側が自分を責め、その人たちを責めるのが加害者側だということが、とてもおかしなことのように思います。

 だけど妻の言葉が、加害者本人の心全てを表わしているわけではないと思います。 息子をダンプでなぎ倒した時の衝撃、タイヤが体に乗り上げ上下にバウンドした時の感覚や、犬を轢いたと思っていたのに、子どもだと知った時の驚きを、忘れるわけがないと私は思うのです。 言い訳をしても、原因を私たちに押し付けても、一人の子どもを轢き殺したことに間違いはないのですから。
 妻はこうも言いました。 「主人は毎日事故のことを口にしていた」
 毎日というのは信じられないけれど、自分達のために後悔していたのだろうけれど、心は重かっただろうと思います。 事故さえなければ、穏やかに暮らせていたのに、職も失うことはなかったのに、生活保護を受けることもなかったのに、そのために貯蓄も保険も手放すことはなかったのに。 妻が言うことを置き換えればそういう言葉になります。 事故さえなければ・・・・。
 でも交通事故は、自然災害ではないのです。 車は人の意思で動くもの。 だからこそ、ハンドルを握る責任を忘れてはいけないと思います。

 妻は、息子の名前も知りませんでした。 彼等にとって事故は他人事と同じ、最後まで息子は、「事故で死んだかわいそうな子供」 でしかなかったのです。
 つくづく、加害者は気の毒な人だと思います。 自分の起こしたことに向き合わず、諭してくれる人も周囲に一人もいないまま、反省も謝罪もできずに死んだのです。 人に恵まれない寂しい人生。 人生の仕上げの年齢でもあったのに。
 妻の言うことに対し、それは違うのだとひとつひとつ説明して、今までの自分たちの思いを話した私に、妻はうんざりしたように言いました。
 「じゃあ どうすればいいんですか」
 加害者にはもう何も求めることはできない、でも、せめて事故で命を奪った側の責任として、交通事故が起こらないように自分ができること、例えば遊びに夢中の子供に目を配ったり、危険な運転をしている人を見かけたら注意するなど、どんな小さなことでもいい、できることをしていって下さいとお願いして、家を後にしました。
 妻がどう思ったか、これからどういう生き方をしていくのかはわかりません。でも私にはもう関係のないことにします。 彼等のことを忘れることはないけれど、彼等のことで悩むのはこれで終わりにしたいと思います。
丸めてゴミ箱に捨てました。二度と会うことはありません。




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