同じ思い

脱線事故から今日でもう1ヶ月。
ご遺族や怪我をされた方々にとっては長い1ヶ月だったことでしょう。
罪悪感を感じているという、助かった人たちや救助に関わった人たち。
遺された者がよく口にする言葉。
あの時ああしていれば・・・。
このようにしていたら・・・。
何故私が生きているんだろう。
みんなそう思う。

自分を責めるのは、加害者に対する怒りが自分に向けられているから と、
カウンセラーに言われたことがある。
そうかもしれない。
例え病気で亡くなったとしても、
やっぱり遺された者は自分を責めてしまう。

どじの事故の時に連れていた犬は、私の親友とも言える人が飼っていた犬でした。
若い頃に難病を発病し、仕事も結婚も諦めていた彼女。
どじが事故に遭う3年前、薬の副作用から脳梗塞を併発し、10日間寝たきりになり、
言葉も出せず、体も動かせず、苦しんだ末に亡くなった。

どじはその時、幼稚園の年長さん。
幼稚園に送った足で病院へ行き、お迎えの時間まで側にいて、
帰宅してから家事と夕食の支度を済ませ、
父親が帰ってくるまでの間子どもたちだけで留守番をさせ、また病院へ。
そんな生活を1週間続けて、自分は精一杯やったと思っていても、
亡くなった後に、もっと出来たことがあった筈だと自分を責めた。
悔しかった。
その悔しさが自分に向けられたのだろうか。

遺された者は自分を責める。
生きているから苦しむ。
でも生きているのだから、楽しいことや嬉しいことがあった時は、
遠慮なく笑ったらいい。
きっと亡くなった人も一緒に笑っているよ。

2005.5.25

呟きへ    次へ
トップ